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沿革

 

 

明治39年6月1日

 

神奈川県小田原に幼年保護会矢津力行舎及び小田原家庭学園を設立する。

明治40年10月

 

横浜市根岸町で少年少女釈放者の保護を開始する。

明治42年4月

 

本会を、感化部、保護部に分け、横浜市根岸町に女子感化部を設立し、根岸家庭学園、同じく男子保護部を設け根岸力行舎とする。

明治43年8月

 

財団法人の許可をうけて、既定の役員を定める。

大正3年9月

 

保土ヶ谷帷子町に移転、大正4年4月1日より横浜家庭学園に改める。

大正12年

 

少年法施行により、横浜家庭学園は司法省認可少年保護団体に指定される。

 

 

昭和9年

 

少年教護法施行により、神奈川県、東京都の女子認可少年教護院となる。

 

昭和23年

 

児童福祉法施行による教護院として、東京都、神奈川県より横浜家庭学園認可される。

 

昭和27年5月17日

 

社会福祉事業法により、財団法人から社会福祉法人に改組し認可される。

昭和59年4月1日

 

昭和58、59年度で、施設を整備する。定員50名となる。(旧定員60名)

 

平成10年4月1日

 

児童福祉法改正により、「児童自立支援施設」となる。

 

 

明治39年

 

国は神奈川県小田原に少年刑務所を設置して幼年犯罪者を収容し、特別な処遇をすることになった。当時この管理に当たってたのが、横浜刑務所典獄有馬四郎助である。彼は少年犯罪の原因の多くが、生育途上の境遇の結果であることを思い、これを救済する教育機関の必要性を痛感し、釈放者のために「幼年保護会」を設置し、初代会長となった。

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